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The Baltic Way © Vitālijs Stipnieks

歴史を垣間見る

紀元前9000年

現在のラトビアの領域に最初の住民が定住を開始

1279年

バーガンディ-ホワイト-バーガンディの色の旗がLett(レット)族によって最初に使われる。この旗は、現在も使用されている最も古い旗の一つである

1873年

ラトビア歌謡祭が初開催

1918年

ロシア革命でロシアを破り独立を宣言。繁栄する新国家の誕生

1991年

独立を回復

2004年

NATOとEUに加盟

2014年

ユーロ通貨を採用

時代を超えたラトビア人

  • 時代を問わず、ラトビア人は常に自然との密接で敬虔な絆を保ってきました。ラトビア人は歴史的に農耕民族であるだけでなく、その文化、社会、そして周囲の世界に対する理解が自然現象と結びついており、太陽と季節が生活のペースを左右しています。

    今日でも、ラトビア人は自然の恩恵、その癒しの力、価値と利点を深く理解しています。この理解が、自然食品、自然療法、さらには自然の恵みに基づくイノベーションへの敬意につながっています。

  • 数千年前、ラトビア人は戦略的に重要で争奪の的となる土地に定住したため、時代を超えてさまざまな勢力の興亡にさらされてきました。しかし、ラトビア人の精神、言語、文化は、世界的な力の影響にもかかわらずその強さを証明し、存続してきました。

  • ラトビアは、歴史の中で幾多の勢力の興亡を目の当たりにしてきました。他国が外圧に屈する中、ラトビア人は民族、言語、文化を守り抜くために、逆境に柔軟かつ強靭に立ち向かう力を何世代にもわたって培ってきました。

    時代を超えてラトビア人を特徴づけるものがあるとすれば、それは周囲の世界が絶えず変化する中でも持ち続ける不屈の精神です。

ラトビア人は、約4000年前にこの地に到来したバルト民族を祖先としており、この民族は現在の地に定住するヨーロッパ最古の民族の一つです。何世紀もの間ラトビアの地政学的な状況を形成してきたのは、貿易の十字路にあるバルト海の戦略的な位置と、対立する大国の利害でした。

1890年代に入り、都市部におけるラトビア人の人口が多数派を占めるようになると、ラトビアの民族主義運動は急速に拡大しました。復興運動の指導者たちは、ロシアやドイツの文化的影響からラトビア文化を守るためには独立しかないと確信し、独立を強く訴えるようになりました。1918年にロシアとドイツが第一次世界大戦で敗北したことで自由が実現し、1918年11月18日に独立が宣言されました。

People marching with flags of three Baltic countries
@ LI Archive

その後の20年間は、ラトビア人がヨーロッパ諸国の一員としての地位を確立した、繁栄した独立の時代でした。しかし、第二次世界大戦が勃発し(1940年)、ロシアとドイツが再びラトビアを占領し、虐殺という悲劇をもたらしました。それでもラトビア人は独立への希望を捨てず、国内外のラトビア人が協力して自由の実現に向けて絶えず努力しました。1990年5月4日、ラトビア人は独立回復を宣言し、その直後にソビエト連邦は崩壊しました。

現代のラトビア

自由市場経済の再建後、ラトビアは新興国家としての困難な「青年期」を乗り越え、めざましい発展を遂げました。

安定した経済と選択の自由を得たラトビアは現在、欧州連合とNATOに加盟し、イノベーションの拠点、音楽シーンにおける文化的大国、そして自然の静けさを楽しむための隠れ家的存在となっています。

Zigfrīds Anna Meierovics(ジグフリーツ・アンナ・メイエロヴィツス)

ジグフリーツ・アンナ・メイエロヴィツスの功績は、ラトビアの独立に対する生涯をかけた献身と、いかなる困難に直面しても決して諦めないという決意に表れています。

Emīls Dārziņš(エミールス・ダールズィンシュ)

エミールス・ダールズィンシュは、ラトビア文化史において注目すべき作曲家として評価されています。彼の作品は、「ラトビア文化正典」(ラトビアの芸術と文化的価値の最も傑出した重要な作品を集めたもの)に選出されています。

ラトビア人の自己認識

ラトビア人のアイデンティティは、積み重ねられた数千年分の歴史によって形成されています。現代のラトビア人は、自らの姿を以下のように認識しています:

 

  • 小国ながらも高い能力– ラトビアの人口は世界的に見ても少ないですが、そのぶんラトビア人が世界的な成功を収めた時の喜びは格別です。ホッケーの主要な試合での勝利や世界的に評価される音楽家の活躍など、私たちは常に誇りを持って応援します。
  • 内向的な国民性– ラトビア人は自身を内向的だと考えています。かつては隣人の姿さえほとんど見えない農場で暮らしていたため、ラトビア人は自分の空間を大切にします。度重なる占領の歴史から、人間関係には慎重な一面があります。しかし一度信頼関係を築けば、真の友情を育むことができます。
  • 革新者– 限られた資源の中で工夫を凝らしてきたラトビア人は、イノベーションの達人です。小型カメラから航空機、5G通信技術といった様々な分野で、制約を乗り越える独自の技術を生み出してきました。
  • ミニマリズム– 派手な色使いを好まず、ニュートラルな色調、天然素材、シンプルなデザインを重視する傾向があります。この感受性は、ファッション、建築、デザインなど、あらゆる分野に見られます。
  • 不言実行– ラトビア人は非常に謙虚な国民性を持っていますが、業績は高く評価されています。常に最高の品質を追求し、世界に深い印象を残す成果を生み出しています。
  • 逆境に打ち勝つ団結力– 使命感の強い国民として、ラトビア人は共通の困難を克服するために団結する能力に非常に優れています。困窮している家族のための資金集めから、あらゆる資源を動員してウクライナの独立戦争への支援をするなど、ともに困難を乗り越えようとします。

ラトビア人が自らのアイデンティティと繋がる方法

ラトビア人が自らの文化・歴史的遺産とどのように関わるかは人それぞれ異なりますが、ラトビア大学の社会調査によれば、現代のラトビア人は国民の祝祭、子育ての方法、社会的な交流を通じて自らのルーツとの繋がりを意識しています。

 

以下はその具体的な例です。

  • 夏至祭を楽しみつつ、民謡を歌ったり、ゲームをしたり、その祭りに特有の地元の食べ物を食べたりするなど、ラトビア特有の要素を大切にします。

  • 長い苦難の歴史を経て勝ち取ったラトビアの独立を祝い、自由に感謝しながら過ごします。

  • 次世代がラトビア語を流暢に話せるよう、家庭内での会話はラトビア語を優先します。

  • 出演者であれ観客であれ、4年に一度開催される歌と踊りの祭典の期間中1週間は、ラトビア社会全体が祭典の熱狂に包まれます。

ラトビア語

ラトビア語 – 世界文化におけるもう一つの興味深い物語

ラトビア語は、リトアニア語とともにヨーロッパのインド・ヨーロッパ語族の中で最も古い言語の一つと考えられており、バルト語派を形成しています。世界中で話されている約6,700の言語のうち、ラトビア語は比較的少数派の言語であり、話者数は100万人強です。

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ラトビアの祝祭

2004年5月1日以来, ラトビアは欧州連合(EU)の加盟国であるという栄誉に浴しています。この歴史的な出来事は偶然ではなく、長期的かつ断固たる努力の結果…

© Velta Čebotarenoka

5月4日

5月4日、ラトビアは独立回復の日を記念し、その歴史において極めて重要な日として祝います。この日は、ラトビア国民が自由と主権を求めて粘り強く戦い抜いた歴史を再認識する機会となります。また、1990年5月4日の回復に関する宣言の重要な出来事を思い起こさせます。…